2010年07月22日

ドラマ高杉晋作の「奇兵隊」に岸静江のシーンが・・・

1989年に放映された年末スペシャル時代劇、高杉晋作の「奇兵隊」を観ていたら、なんと「岸静江」が出ていた。

なまずの身近なラスト侍・・・感激モノです!!

ただ一人、関門を死守している岸静江に大村益次郎が退くように諭すが頑固としてこれを受け付けない為、他の道を行こうとする・・・すると「バァ〜ン!」銃声一発・・・一兵士が発砲、あっけなく岸静江は殺されてしまった。

「え〜!こんな簡単に・・・、もっとドラマチックじゃないんか?」と、勝手に思った次第です。

それに30代前半だから、もっと若い感じのイケメンを(織本順吉さんには悪いですが)と思うのは私だけでしょうか?

まあ〜実際はこんなもんではないでしょうか?

でも岸静江ファン(坂本龍馬よりも・・・)としては、ラスト侍の最後は武士らしく討ち死にしたイメージを描いています。

 
posted by なまず at 11:20 | Comment(0) | 岸静江 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月02日

長州軍に一人で立ち向かった岸静江

 岸静江は群馬県上野(こうずけ)出身、1836年5月生まれの浜田藩士で、幕末1866年6月16日石州口関門で侵攻してくる長州軍に単身たちむかい、撃たれて死亡した。

司馬遼太郎の『花神』では、岸静江の戦死の様子を詳しく描いている。

―――「関所を守る」
ということが、彼の絶対の職務であった。岸がもし戦国の武士という戦闘そのものを職能にしている時代のそれならばこの無用の防御点をすててさっさと本営へひきあげるところであった。が、岸静江の頭上には、江戸二百年の教養時代の一大累積がのしかかっている。江戸期は一揆をのぞいては実戦が無く、武士は教養人とあった。サムライという戦国武士ではない特異な人間の典型ができあがって、その仕上がりきった時代が、この幕末である。岸は当然、そのサムライという典型のごとくふるまわなければならない。(中略)

「関守は関守として死ぬのが、つまりは主君の馬前で死ぬことでござる。さて戦うべし」

と、長槍を構えた。

佐々木は飛び退き、やむなく諸兵を散らせ関所を包囲させた。岸静江は槍をしごきつつ突進した。

 十発ばかりの銃声がおこり、そのうちの一発が岸の横腹を射ぬき、一発がのどをつらぬいた。岸はうつむけざまに地を叩くようにして倒れた。長州人が近づくと、即死していた。
 

                                                    「花神」より引用

部下六名と付近の農民に武器を持たせたわずかな手勢で関所を守ることなど、

           いくら藩主の命とはいえ無茶苦茶なことですな。


司馬遼太郎が武士道について述べている。
以下引用・・・
……岸がもし戦国の武士という戦闘そのものを職能にしている時代のそれならばこの無用の防御点をすててさっさと本営へひきあげるところであった。が、岸静江の頭上には、江戸二百数十年の教養時代の一大累積がのしかかている。江戸期は一揆をのぞいては実戦がなく、武士は教養人になった。サムライという戦国武士ではない特異な人間の典型が出来上がって、その仕上がりきった時代が、この幕末である。岸は当然、そのサムライという典型のごとくふるまわねばならない。
 繰りかえしていうが、戦国武士の職能人的感覚からいえばここは逃げればいい。が、岸静江は、逃げなかった。

 戦国時代の武士と太平の世を生きた侍とは根本的に違うことを初めて知ったわけで、岸静江が何故逃げなかったか、少し分かった気がしますな。

その武士道が宿っている「鉄瓶」を何故曾爺さんに譲ったか、
              タイムスリップして彼に会い気持ちを聞きたいものです。

 
posted by なまず at 15:11 | Comment(0) | 岸静江 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月27日

ラストサムライから譲りうけた鉄瓶

 徳川の時代が終わりを告げようとしている頃、益田で戦死した一人の侍から譲り受けた古い鉄瓶がある。

 その侍の名は「岸静江」という。

 何故我家にあるのか詳しくは分からないが、親父の出身が浜田の周布であり、親父のお爺さんが浜田藩士であった。つまりなまずの曾爺さんが「岸静江」と友達(?)であり、その関係で貰ったのだと、勝手に思っております。

 そこらへんもハッキリとは分からないが、明治26年生まれの親父から年代を推測すると、多分そうであろうと思う次第である。折を見てなまずのルーツを調べに浜田に行こうと思う。

 その鉄瓶が何故我家にあるのか、親父に「岸静江」から譲り受けたとしか聞かされていないので、そのことも調べて見ないとならない。

 「岸静江」とは何者?と思われるであろうが、後日お伝えするので、歴史好きは楽しみにお待ち下さい!
タグ: 長州 徳川
posted by なまず at 15:39 | Comment(0) | 岸静江 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。