2009年10月22日

ラスト侍と親父

周布の本家立替のとき、倉の中から叔父さんの荷物が出てきて、その中に鉄瓶があり親父が貰った。

どうして親父が貰うことができたのか?

それは、小学1年生から叔父さんの所へ剣道を習いに行っていた縁で貰うことができたそうだ。

周布から浜田まで胴を付け木刀と面を肩に背負い、歩いて通っていたのだから昔の人は強い!

ちなみに周布から浜田までは約8kmもある。そのおかげか大した病気もせず85歳まで生きてくれた。

叔父さんはバリバリの侍だから、藩主が逃げた後浜田に残り、道場を開いていたようだ。

明治の頃、小学4年生までは昼までの授業で、弁当は余り持っていく日が無かったらしい。午後は家の手伝いをする。

和紙を閉じたのをノート代わりのして、教科書と供に風呂敷に包んで周布駅の側の平屋の周布小学校に通っていた。

道場では兵法として漢文を習ったとの事。

陣地の引き方・攻め方・相手の出方等、孔子・孟子などや中国の三国志等を手本にして習ったらしい。

小一の頃から道場に来る、町家や漁師の弟子(大人)に、叔父さんの代わりに教えていた。

浜田に21連隊があったので、入隊する前から道場に入門する人が多かったようだ。

浜田第21連隊は強くて全国的にも有名な部隊だったようです。

水戸藩から来た侍である叔父さんと親父の関係はどんなんだったのだろうか?

多分、自分の子供のように親父のことを可愛がっていたのかもしれない。

浜田城が焼け落ちる有様を、じーっと見ていた叔父さんは、亡き友(岸静江)のことを思っていたのだろうか?

それとも、徳川幕府が終わり、新しい時代がやって来る感触を、城が燃え落ちる炎の熱さに感じ取っていたのだろうか?

今になって知る由も無いが、ラスト侍の心が我家にある「鉄瓶」から伝わってくる。


 
posted by なまず at 12:16 | Comment(0) | 叔父さんは侍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月21日

親父の叔父さんは侍だった!

親父のお母さんには兄弟がいた、即ち叔父さんに当たる人物で、平井家の息子になる。

その叔父さんが住んでいた隣に岸静江が住居を構えていたらしい。それで叔父さんとは仲が良かったようだ。

叔父さんは剣の腕が立っていたので、浜田藩の若様(多分、武聡)の指南役をやっていた。

幕末、長州軍の侵攻を受け、岸静江は多田の関所に向かうことになった。

その時、仲の良かった叔父さんに家財道具一切と家をあげてしまう。

岸静江はもう帰れないことを決意したのであろう。

最後、叔父さんと別れるとき、どんなことを話したのだろうか?

31歳になる侍は数名の供と、長州軍を迎え撃つべく益田に向かった。

その家財道具の中に岸家の家宝である「鉄瓶」があったのだ。

「その鉄瓶が何故なまずのところにあるの?」と、思われるでしょうが、

この続きは後程・・・乞うご期待くだされ!

タグ:指南 剣道
posted by なまず at 15:49 | Comment(0) | 叔父さんは侍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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